
いかおうじ【イカ王子】
〈名詞〉
岩手県宮古市に生息し、水産の世界を愛するあまり、ある朝、王冠を被り、「イカ王子」と名乗り始めた独特な人物。「王子のぜいたく至福のタラフライ」の生みの親で知られるが、「それ、イカじゃないじゃん!」と常にツッコミを浴びている人。「美味しいもの」で水産業にイノベーションをもたらしたいと妄想を続けるやや面倒な人
{特徴}話が長くてくどく、声も大きく、いやになるほど情熱的。ノリは良い方なので頼めば何でもしてくれる。
{類語}ヘンリー王子(英国)、青汁王子(日本)、白馬の王子(夢の中)
{用例}「あんた、最近くどくなってイカ王子に似てきたわよ。うざいんだから黙ってタラフライ食べなさいよ!」「そんなこというお前こそ、安っぽいメイクがイカ王子の王冠みたいだぞ!」
Le CALMAR PRINCE
RYOTA SUZUKI
イカ王子こと鈴木良太の足跡
-
1981年
岩手県宮古市で産声を上げる。産湯は磯香る潮水だったとかそうじゃないとか。
-
-
2000年
地元工業高校を卒業。都会への憧れから仙台の東北学院大学に進学するが中退。その後、飲食店に勤務し、夜の繁華街で青春の謳歌を試みる。
-
2005年
水産会社を営む父親の説得により宮古に帰郷。イカの加工品を手がける父の会社(共和水産株式会社)に入社するが「イカなんて、超ダセーし、宮古なんて、もっとダセー」と嘆く鈴木良太24歳だった。
-
2011年
東日本大震災が発生。未曾有の大災害で壊滅的な状態となった地元の姿を前に「何かを変えたい」と心に誓う。その後、突如、王冠を被って「イカ王子」と名乗り、周囲を困惑させる。しかし、鈴木良太は「イカ王子」キャラを確立すべく、発信を開始。水産への熱い思いをネット空間に投げ続ける。また、イカを使った新商品をネット販売し大ヒットを飛ばす。さらには若手の経営者を集め、「宮古チーム漁火」を結成し、鈴木良太が会長となる。
-
2012年
継続的な発信の結果、「イカ王子」が世の中に浸透。「宮古の水産業界の異端児」としてメディアにも注目される。会社の売り上げも急上昇する。
-
2013年
次々と新製品を開発し、ネット通販でヒットを飛ばす。いつしか、かつては周囲を困惑させた「イカ王子」が震災復興の象徴として捉えられるようになる。
-
2015年
東日本大震災発生年に立ち上げた「宮古チーム漁火」が復興庁からの表彰を受ける。この表彰により、「宮古チーム漁火」は新しい水産業のかたちとして、全国から注目される。
-
2018年
日本一の水揚げ量を記録した宮古の真鱈に着目し、「宮古・下閉伊冬の産直&真鱈まつり」を企画。官民一体となって開催されたこのイベントは、冬季の宮古の新たな集客イベントとなった。
-
2019年
イカ王子が「地域の課題解決のひとつ」として取り組んだ「王子のぜいたく至福のタラフライ」がテレビ番組で絶賛され全国的ブレイクを果たす。「タラフライなのに、なぜイカ王子?」とのツッコミが増え出す。
-
2020年
タラフライの需要が爆発的に増加。イベント販売品から本格的な冷凍食品として商品化を進める。一般家庭のほか飲食店への提供も拡大する。
-
2021年
東北沿岸の漁業が深刻な不漁に直面する。とくに共和水産の看板商品であるスルメイカが歴史的な不漁となる。それに伴い、会社の資金繰りの厳しさが増していった。
-
2022年
三陸漁業の不漁は続くが、イカ王子はたびたびメディアに取り上げられ、知名度は全国区となっていく。イカ王子個人でもYouTubeチャンネルを開設し、情報発信にさらに活発化させる。
-
2023年
都市圏での催事に満を持してのデビュー。イカ王子自身がタラフライを実演販売し、催事全体を盛り上げる。その一方で、長引く水産不況とコスト高騰により、ついに会社の経営が行き詰まる。秋には民事再生の手続きを申請。
-
2024年
イカ王子の王冠を脱ぎ捨てた鈴木良太は、民事再生手続きの中で事業継続の道を模索。結果、共和水産の事業は東京の企業に譲渡され、鈴木は、工場管理の立場として新会社(合同会社MIYAKO)に勤務することになった。
-
2025年
民事再生手続きの申請により一度は、イカ王子と決別した鈴木良太だったが、全国のファンに支えられて復活を決意。初心に戻って本当に美味しいものを届けると心に誓い、フリーランスとしての活動を模索する。同年6月、フリーランスとなった鈴木良太は、岩手県盛岡市で開催されたイベントに「イカ王子」として登場。「イカ王子キャラ」を表現するグラフィックイメージも刷新し、新たなイカ王子として「王子のぜいたく至福のフィッシュ&チップス」を実演販売する。
